執着についてーー反応しない練習③

草薙龍瞬氏の「反応しない練習――あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」」を読んでいる途中。

苦しみの原因は執着

仏教では,苦しみの原因は「執着」にあるのだと。したがって,苦しみから解放されるには執着を手放すことだという。ここでいう執着とは,手放せない心で,怒りや,後悔や,欲望といった思いの数々のことだという。私は,以前から,相手に怒りを覚えるときは,衝動性由来のものを除くという条件付きでだが,怒りの前に自己愛の傷つきがあるのだと考えている。そしてその傷つきを抱えられないとき,人は怒りにそれを変えてしまうのだと。確かに相手が自分を認めてくれないとか,自分の思う通り,期待通りに動いてくれないなど,自分の欲望を満たさない場合に,自己愛は傷つき,その記憶や叶わなかった欲望を手放すことができずに執着が起こる。

執着を手放すこと

分析でテーマとなる抑うつポジションへの移行には思い通りになる相手,世界への期待や欲望とも言える「万能感」を手放すことが必要とされる。そして,その過程には喪の作業が必須とされる。喪の作業では,喪失を受け入れることと,対象への執着を手放し,諦めることが必須である。心が上手くいっていない時,よく出会うのは,こうであって欲しかった過去・自分・相手や,こうであって欲しい未来・相手,こうでありたい自分に執着している状態である。こうした場合には,これらを手放し,ありのままの現実の受容が,分析的心理療法のゴールであるとも言える。したがって,分析の目指すところは,これらの執着を手放せ!との仏教の教えとも重なるものである。