心理療法における生産性――「前に進めていない」と感じるとき
精神分析的心理療法やカウンセリングの場では,ときどき「何も進んでいない気がする」「この時間は役に立っているのだろうか」という感覚が語られます。
前回,「人は生産的でなければならないのか|生産性という価値観を問い直す」を書きましたが,変化がはっきり言葉にならないとき,あるいは問題が解決したとは言いにくいとき,私たちはつい「意味のある時間だったのか」「成果はあったのか」と自分に問い返してしまいます。
しかし,そもそも人の心における「生産性」とは,数値で測れるような単純なものだろうかということについて今回は書いてみたいと思います。
大切にしているのは「速度」ではなく「耐えられる形」
心理療法において重視されるのは,どれだけ早く変わるか,どれだけ早く成果を出すか,ということではありません。
心理臨床が大切にしているのは,
「その人にとって耐えられる形で変化が起きているかどうか」という点です。
私たちはつい「劇的な変化」や「即効性」を求めがちです。しかし,急激な変化は一見すると生産的に見えても,心の側がそのスピードに追いつかず,バランスを崩してしまうことがあります。無理な工事が地盤沈下を招くように,急ぎすぎる変化は脆さを孕んでいるのです。
遠回りに見える時間や,足踏みに見える過程。
それらは決して停滞ではなく,「その人にとって無理のない変化」を支えるための,必要な土台作りの時間であることが少なくありません。
本当の「生産性」は,数値ではなく「深み」にある
世の中にある「生産性の論理」は,目的が明確で,進捗が数値化でき,結果が説明できることを前提としています。
しかし,人の心の営みにおける生産性とは,もっと深みのあるものです。
たとえば,
以前よりも,自分の感情を味わい深く感じられるようになること。
同じ苦しみの中にあっても,自分を責めずにいられる時間が増えること。
これまで言葉にならなかった感覚に,自分なりの名前を与えられること。
―—これらは数値化も比較もできません。しかし,その人の人生を豊かにし,根底から支えるという意味で,これほど「生産的」なことはないはずです。
心理療法とは,目に見える効率を高めることではなく,こうした「数値では測れない深み」を耕していく営みだと言えるでしょう。
「何も起きていないように見える時間」の正体
心理療法の時間では,話す内容が堂々巡りになったり,沈黙が長く続いたりすることがあります。
生産性というものさしだけで見れば,それは「無駄」「不毛」に見えるかもしれません。
しかし臨床的には,その「何も起きていないように見える時間」の中でこそ,重要なプロセスが進行していることがよくあります。
セラピストとの安全な関係性が確かめられたり,言葉になる前の混沌とした感覚が整えられたり。
あるいは,自分自身に対する距離の取り方が,少しずつ,安全なものへと調整されていたりします。
それは,植物が冬の間に土の中で根を伸ばしているのと似ています。
地上には何も芽が出ていないように見えても,地下では静かで力強い生命の営み(生産)が行われているのです。
「評価の視線」から,いったん離れる
心理療法の中で「何も進んでいない」と焦りを感じるとき,
その背後には
「この時間を無駄にしてはいけない」
「機能的でなければならない」という,自分自身への厳しい評価の視線があることが少なくありません。
心理療法の場には,そうした「役に立たなければならない」という感覚を,いったん脇に置くための側面があります。
むしろ,自分を機能や成果で評価し続ける緊張から一時的に降りてみて,「ただ,そこに在る」という体験を取り戻す時間に近いものです。
「無駄」かどうかは,ずっと後になって分かる
「何も起きていない」「不毛だ」と感じられた時間が,
実は無駄ではなかったということは,あとになってみないと分かりません。
数ヶ月後,あるいは数年後になって初めて,「あのとき,ただ座っていただけのように思えた時間があったから,今ここにいられる」 と感じられることもあります。
逆に,当時は「サクサク進んでいる」と思えた時間が,振り返ると表面的な変化に過ぎなかったと気づくこともあります。
セラピーの時間は,その時々の効率(コスパ)では測れない,もっと長い人生の時間軸の中で意味を持つものです。
さいごに
何も生まなくてもいい時間。何の役にも立たなくてもいい時間。
そうした時間が「それ自体として存在すること」を許される場所が,心理療法という空間です。
もし,心理療法の中で「進んでいない」と感じることがあれば,その焦りも含めて,ぜひ担当のセラピストと共有してみてください。その「足踏み」の中にこそ,あなたにとって最も自然で,最も耐えられる変化の種が隠れているかもしれません。

