『傲慢と善良』から

積読になっていた「傲慢と善良」を読みました。気になったところについて書いてみました。

自己評価の低さと自己愛の強さ

本書は題名が気になって内容についてはまったく知らないままに購入したものでしたが,ミステリー仕立ての婚活がテーマの物語でした。

物語の中に,婚活をサポートする結構相談所の主催者である小野里さんという妙齢の女性が出てくるのですが,この人の婚活中の人たちの分析がなかなかに秀逸なのです。

小野里さんは自分の相談所を訪れる人たちのことを「謙虚だけど自己評価が低い一方で,自己愛の方はとても強くて,傷つきたくない,変わりたくない,高望みするわけじゃなくて,ささやかな幸せが掴みたいだけなのに」というタイプが多く,登場人物のひとり,主人公の元から突然に姿を消した真美もそういうタイプだったのではないかと言います。これは婚活をする人に限らず,今の若者に共通する特徴ではないかと思います。

傲慢さと善良さ

そして,彼女はこうも言います。ここで,この物語のタイトルにもなっている大事な言葉が出てくる部分なのですが,「現代の日本は,目に見える身分差別はもうないですけれど,一人一人が自分の価値観に重きを思いすぎていて,皆さん傲慢です。その一方で,善良に生きている人ほど,親の言いつけを守り,誰かに決めてもらうことが多すぎて“自分がない”ということになってしまう。傲慢さと善良さが,矛盾なく同じ人のその中に存在してしまう,不思議な時代なのだと思います」と。

心理学や社会学の研究者のコメントかと思うほど,現代の人の心の在り方を鋭く描き出しているコメントだと思います。解説の朝井リョウ氏も,謙虚さと自己愛が両立するという点への着目を著者の鋭い発見と指摘していました。このあたりの人物の描写は朝井リョウ氏が描き出す登場人物にも共通するところがあるように思います。

また朝井氏は,周囲や社会が求めるものに応えている間は,意思はなくても不正解をただき出すわけでもない,善良な良い子をやっていれば,自己愛は募っていくし,傲慢にもなっていくのだとも解説していました。

親にとって善良な良い子をやるには,正解を出し続けるためには,何も自分では考えず,親に従うことが必要になります。要は自分で考えることはしない,意思のない子になるわけです。正解は出せるけれど,失敗はしないけれど,自分で考えることができず,周りに合わせてばかり生きる良い子…果たして,これはどうなのかと思うわけです。

失敗が許されない社会

しかしながら,対人関係において不適応を起こしている人たちはどういう人たちでしょうか。彼らはおそらく,不正解を叩き出して,失敗をしたと思い,そこで自己愛が深く傷ついてしまって立ち直れなくなって,前に進めなくなってしまった人たちです。本来は,不正解を出したからと言って,一度や二度失敗したからと言って,世界が終わったわけではありません。しかし,彼らをメンタルが弱いと一概に責めきれない現実があるようにも思います。というのも,SNSを主戦場として繰り広げられているキャンセルカルチャーは,失敗が許されないという風潮を生んでいるとも思うからです。ちょっとした失敗がSNS上で大きな問題に発展していく様子は,失敗したら「もう無理だ」「自分はダメだ」という気持ちを増長しているようにも思います。

このように考えてみると,失敗しながら,試行錯誤しながら成長していくという機会が欠けつつあることが,現代の私たちの心の発達を邪魔しているのではないのでしょうか。このような現実のなかで,傲慢になりすぎることなく,いかにして程よい謙虚さを身に着け,かつ主体性を持って,自分の頭で考え,壊れずに生きていく力を獲得していけばよいのか,それが私たちの課題であると思います。

小さな作業ではありますが,失敗しても大丈夫,注意されたからと言って,怒られたからと言って,誰かがあなたの発言や行動を良しとしなかったからといって,あなた自身が否定されたわけではない,あなたは堂々と大手を振って生きていけばいい,そこまで周りの目を気にせず,自分の考えで生きていけばいいのだということ,それはあなただけではなく,相手も同じであるということ,人にはひとそれぞれの考え方がある,あって良いということを発信していきたいと思います。