「いい人」をやめる勇気
家族から次々と頼まれごとをされ,断れずに引き受け続けている。友人との会話で本当は違う意見があるのに,「まあ,それでもいいかな」と自分の考えを飲み込んでしまう。「自分さえ我慢すれば丸く収まる」――そう思って日々を過ごしている人は少なくありません。
今回は,この「我慢」が最終的に何を招くのかについて書いてみたいと思います。
なぜ「自分さえ我慢すれば」と思うのか
「怒ってはいけない」「わがままを言ってはいけない」――多くの人は,幼い頃からこうしたメッセージを受け取りながら育ちます。自分の気持ちを主張することは,周りを困らせること。だから「いい人」でいるためには,自分の感情を抑え,他者の期待に応えなければならない。
さらに,他者の感情に対して過剰な責任を感じてしまうこともあります。「私が断ったら,相手は傷つくかもしれない」「私が意見を言ったら,雰囲気が悪くなるかもしれない」。こうして,他人の顔色を気にし続け,自分の気持ちは後回しにしてしまうのです。
「いい人」の罠
「いい人」でいることは,一見すると美徳のように思えます。周りに気を配り,人の役に立ち,争いを避ける。しかし,その裏には落とし穴があります。「いい人」であり続けるために,自分の本当の気持ちを隠し続けることになるからです。
本当は嫌なのに「いいよ」と言い,本当は疲れているのに「大丈夫」と答える。そうして作り上げた「いい人」の自分は,実は本当の自分ではないかもしれません。
さらに問題なのは,周りの人もその「いい人」の姿を当たり前だと思い始めることです。「あの人は何でも引き受けてくれる」「あの人は文句を言わない」。こうして,ますます断れなくなり,自分の意見を言えなくなっていきます。
「良い人」でいることで得られる安心感や承認は,実は非常に脆いものなのです。
しかし,それは持続不可能である
では,この「我慢」はいつまで続けられるのでしょうか。
抑圧された怒りや不満は,消えてなくなるわけではありません。それは心の奥底に溜まり続け,やがて何らかの形で現れます。突然の体調不良,原因不明の疲労感,離人感(自分が自分でない感じ),些細なことでの感情の爆発――こうした様々なで精神の疲労が姿を現します。
「自分さえ我慢すれば」と思っていたはずなのに,結局,自分も周りも傷つけてしまう。これは決して珍しいことではありません。
では,どう考え直すか
ここで大切なのは,いくつかの区別をつけることです。
- 自分の権利を侵されたら,怒ってもいい ――怒りは悪い感情ではありません。それは,自分の境界線が侵されたときの正当な反応です。怒りを感じること自体に罪悪感を持つ必要はないのです。
- 自分の人生に責任を持つ――他者の期待に応え続けることは,実は自分の人生の責任を放棄することでもあります。自分がどう生きたいか,何を大切にしたいか。それを決めるのは,他の誰でもなく,自分自身です。
- 考えることと,考えなくていいことを区別する―― 他人がどう感じるかは,最終的にはその人の責任です。あなたが相手の感情のすべてをコントロールすることはできませんし,その必要もありません。考えても仕方ないことに心を砕くのではなく,自分にできることに集中する。
- 人の顔色の責任を負わない ――相手が不機嫌になったとき,「自分のせいだ」と即座に思う必要はありません。相手の感情は相手のものであり,あなたがすべての責任を負うものではないのです。
さいごに
「いい人」をやめることは,冷たい人になることではありません。それは,自分の人生の主導権を取り戻すことです。
我慢を続けることは,一見すると平和的に見えるかもしれません。しかし,それは自分を犠牲にし,最終的には持続不可能な状態を作り出します。自分の気持ちを大切にすること,自分の境界線を守ること。それは,決してわがままではないのです。

桜心理カウンセリング恵比寿では,「自分らしい生き方とは何か」という問いを,一緒に考える時間を提供しています。どう生きるのが自分にとって心地よいのか。
一人で向き合うのが難しいとき,自分の気持ちを整理したいと思ったとき,どうぞお気軽にご相談ください。あなたが自分らしく生きるための道を,一緒に探すお手伝いをさせていただきます。

