抑うつ状態から抜け出せない理由――クライン派精神分析が教えてくれること

1970年に出版されて以来,英国で長く読み継がれているザルツバーガー‐ウィッテンバーグの『臨床現場に生かすクライン派精神分析――精神分析における洞察と関係性』。この本では,人が抑うつ不安に耐えられず,抑うつ状態に陥ってしまう要因が,外的要因と内的要因に分けて整理されています。
今回は,この本の内容を紹介しながら,臨床の現場で日々感じていることを少し書いてみたいと思います。

本書が示す「抑うつを招く要因」

外的要因

① 早期の喪失体験

本書によれば,子どもを捨ててしまう母親の存在は,「世話をしてくれる良い母親がいる」という赤ちゃんの根本的な信念を深く傷つけます。それは同時に,「自分には悪い母親しかいないのだ」という感情を強めることになります。
その結果,赤ちゃんは自分の破壊性に対する万能感を強めたり,「良い母親を取り戻すことはもうできない」という絶望感を抱きやすくなってしまいます。

② とても傷つきやすい母親

抑うつ的だったり,病気だったりする母親に対処しなければならない赤ちゃんや子どもは,次のような感覚を抱くようになると本書は指摘します。
「自分は人をひどく傷つけ,疲れさせてしまう存在だ」
「自分には他人を幸せにしたり,健康にしたりする力はない」
こうした体験は,深い無力感や絶望感として心に刻まれていきます。

内的要因

① 痛みに耐えられないこと

本書では,身体の痛みに対する耐性に個人差があるように,情緒的な痛みに耐える力にも個人差があると述べられています。抑うつ的な痛みに耐えられないと,人は「分裂」という防衛手段に頼るようになります。その結果,表面的で温かみに欠け,すぐに被害的になりやすい心のあり方が前景化してきます。

② 生まれつき愛と憎しみのバランスが悪いこと

愛する能力に比べて憎しみが強い場合,激しい怒りが体験されます。その怒りによって,現実や空想の中で与えたダメージはあまりにも大きく感じられ,もはや修復は不可能だと感じられてしまいます。
その結果,「もし母親を大事にするなら,自分は母親の奴隷になるしかない」と感じることもあります。あるいは,勝ち誇ったような感覚を持つこともありますが,それが本当の安堵をもたらすことはありません。

③ 厳格すぎる両親

悪く懲罰的な両親,あるいは理想的であることを要求してくる両親が取り入れられると,それらはパーソナリティの中で,非常に批判的で否定的な存在となります。
罪悪感による迫害感情は,威圧的に糾弾してくる「内なる声」となり,子どもはその声から逃れるために,非行や暴力へ向かうことがあります。それが自分自身に向かえば,自殺へとつながることもあります。

アンビバレンスに耐えるということ

ここからは,本書の内容を踏まえた私自身の考えです。
抑うつ不安に耐えられないということは,愛と憎しみの葛藤,すなわちアンビバレンスに耐えられないということだと思います。
自分が愛する母親に対して,憎しみを向けていたという現実
万能な他者も,万能な自分も存在しないという事実
すべてが思い通りになるわけではないという限界

――そうしたことを認め,受け入れていく過程が,抑うつポジションにとどまるということなのでしょう。

妄想分裂ポジションから抑うつポジションへの移行は,生後半年から一年ほどで達成されると言われています。しかしこの二つのポジションは,大人になってからも行き来するものとされています。

大きな喪失体験によって,抑うつポジションにかろうじてとどまってはいるものの,抑うつ不安をなかなか克服できない状態にとどまってしまう人もいます。あるいは,妄想分裂ポジションが優勢になってしまうこともあります。中には,抑うつポジションに至らないまま大人になったのではないか,と思われる人もいます。
いずれにせよ,そうした人たちは,日常生活や社会生活に何らかの支障をきたし,心理療法の臨床の場にたどり着くことになります。

喪の哀悼を支える営み

本書によれば,個人の資質がある程度保たれ,関係性もほどよく安定していれば,同一人物に対する愛と憎しみの抑うつ的葛藤に,悲しみや悲嘆,そして償いを通して取り組むことが可能になります。

そうすると,人は「自分にとって利益があるかどうか」という観点だけで対象を見る態度から離れ,自分の良い部分に向けるのと同じような思いやりを,他者にも向けられるようになっていきます。

こうした人たちには,抑うつポジションにどうにか持ちこたえる力を,獲得する,あるいは取り戻す必要があります。
その過程には,万能なおっぱい,万能な自分を失ったことへの哀悼の作業が欠かせません。
そう考えると,私の心理臨床の仕事は,ほぼすべからく「喪の哀悼の作業」を支える営みだと言ってもいいのかもしれません。

さいごに

抑うつ不安に耐えるということは,決して楽な作業ではありません。むしろ,痛みを伴う困難なプロセスです。
しかし,その痛みを経験し,アンビバレンスを抱えながらも対象との関係を保ち続けることができたとき,人は他者への真の思いやりを持てるようになり,より成熟した関係性を築けるようになるのだと思います。
臨床の場で出会う一人ひとりが,それぞれのペースで,この困難な作業に取り組めるよう,寄り添い続けていきたいと改めて感じています。

Books 桜心理カウンセリング恵比寿

桜心理カウンセリング恵比寿では,理想通りの自分ではないという喪失感,無力感に持ち堪えながら,今日この瞬間を生きるための道を,一緒に探すお手伝いをさせていただきます。どうぞお気軽にご相談ください。