乳児の正常な原始的精神状態と成人の原始的精神状態の識別

R.ケイパーの「精神病理と原始的精神状態」1998(『米国クライン派の臨床』1999/2011所収)において,万能的無意識的空想から正常な無意識的空想になるには「経験から学び,現実を取り入れていくこと」が必要であるが,自己愛的同一化と見なされる状態においては,経験から現実を取り入れ,万能的空想に修正が加えられないために,原始的精神状態が持続してしまうことを主張している。ここでは本論の大事な部分を要約しておく。

経験から学べるのかどうか

乳幼児に見られる正常な原始的精神状態には大人でいうところの妄想や幻覚のような万能的空想が含まれるものの,そこには十分な現実感も含まれており,万能的無意識的空想(無意識的妄想)は,経験から学ぶことで,正常な無意識的空想に自発的に発達していく。

一方,異常な精神状態は決して原始的精神状態(正常な心理的発達の早期の状態)への退行ではない。異常な精神状態としての原始的精神状態というのは,経験から学ぶことに失敗しており,経験によって修正が加わるべき無意識的空想が万能的無意識的空想として持続してしまった状態である。そうした状態では経験から学べないために,妄想やそれに伴う制止,症状,不安は克服されない。

自己愛的同一化

経験から学ぶことなく,万能的投影と取り入れが行われると,自己愛的同一化と総称しうる状態となる。ここでは自己をありのまま(全体自己)として知覚する能力や,誰か別の人の身になって考えるという能力がない。
そして,他者の心と触れ合ったり,誰か他の人が自分自身の心を持っている他者であるということに気づいたりする能力が著しく制限されてしまう。

自己愛的同一化を生み出す万能的空想は,自分が必要な他者を有しているとか,自分は必要な対象であるという妄想,自分には満たされないニーズや精神的痛みなどはないという妄想を生む。

万能的無意識的空想の修正

万能的無意識的空想(無意識的妄想)と通常の無意識的空想を区別しておくことは重要であり,本来分析は前者を分析によって修正することで後者に変えていくことが可能だと考えられている。

しかし,患者は経験に選択的に注意を向けたり,ビオンが現実的な投影同一化と呼んだものを経由して現実を操作したり,解釈を変形すること(幻覚症における変形)で経験を妄想システムに織り込んでしまう。

こうした動きに対して正確な解釈を用いることができれば,患者は自分が経験から学ばないことでいかに犠牲を払ってきたかということに直面するという痛みを感じることとなる。そうなれば,患者は精神病的機制の使用を倍加させるかもしれない。しかしながら,効果的な解釈が引き起こす痛みや葛藤を避けようとして,あやふやで不正確な解釈を供することは避けるべきである。

精神分析という経験から学ぶこと

ここからは私見であるが,自然発露的に経験から学んでこなかった患者に対して,精神分析では治療者の解釈によって能動的に働きかけることで学んでもらうということは確かに可能かもしれない。ただそれは精神分析的情緒的「経験」によって学ぶのでなければならず,知的に学ぶものではない。そこで解釈が「説明」になってしまわないように,あくまでそこで起きていることを伝えるものでなければならないのだが,その線引きは面接室の中では案外難しいように思う。

また,ケイパーは正常な原始的精神状態には現実感が含まれていると言う。しかし,この書き方では、そもそも異常な原始的精神状態というもの,つまりそもそも現実感が含まれていない原始的精神状態というものがあり,そうした心は環境・外界からどんなに働きかけても,それを受け取れる心がなければ,経験から学べないとも読めるように思う。だとすれば,後述するが,そもそも器質的に現実感が含まれていない心,つまり発達障害で言うところの中枢神経系の問題と絡んでくるような心の状態というものがあるのかもしれないとも思う。とはいえ,すべてをそれで片付けてしまっては,精神分析の出番がなくなるわけで,そのあたりの問題を次に考えてみる。

経験から学べない状態やモノ化した関わり方をどう理解するか

精神の発達がPSポジションにとどまっているが故に,万能感が減弱せず,自己愛的,部分対象的にしか相手を捉えられないとき,人は相手を,自分とは別の心や考え,時間で動いているひとりのまとまった自分とは別の尊い人間と見なすことができなくなり,モノのように扱ったり関わったりしてしまう。その状態にある心は,外界を適切に取り入れられず,万能的・迫害的に取り入れてしまう。つまり,これは「経験から学べない」状態を呈するであろう。

しかし,実はこの「経験から学べない」ということ,そして人をモノとしてしか扱えないということもまた発達障害の特徴として説明されることがある。

「経験から学べない」という状態,人をモノ化して扱ってしまうという状態の患者を「発達障害」という概念でくくってしまうと,その患者は精神分析では到達できない砕けない岩盤ということになろうが,もし,その患者の心の状態はPSポジションにとどまり,いまだ部分対象的関係にあるのだと見なせば,精神分析で変化をきたせる可能性が生じるのであろう。だとすれば,安易に発達障害という概念でくくり,中枢神経系の障害だからどうにもならないと考えることは,精神分析をオリエンテーションとする臨床を放棄することにもなりかねない。精神分析の限界を謙虚に受け止めつつ,一方で発達障害という理解で解釈から逃げないようにもしたいものである。

追記:

ケイパーが乳児の正常な原始的精神状態と精神病の原始的精神状態の違いとして記述していることは、ビオンが同じく非象徴領域の思考でありながらも,萌芽的アルファ要素と,統合失調症の人たちの自分の中に内在化できない原初思考/ベータ要素を区別し,後者は「象徴化の前提となる表象を欠く」非象徴領域の思考と説明したことと相似のものであると考えた。ちなみに,アルファ要素は連結されれば象徴化され「夢・夢思考・神話」水準の思考となっていく。