R.ケイパー「精神分析は治すのか?ーー精神分析技法論への寄与」についての覚書

R.ケイパー著の『米国クライン派の臨床ーー自分自身のこころ』に収録されている「精神分析は治すのか?ーー精神分析技法論への寄与」を読んで,気になったところを抜粋。本論でケーパーは,「分析医に対する分析治療上の注意」の中でフロイトが「患者の回復は患者の中にある諸力の相互交流によるものである」と指摘しているように,分析家は治すのではなく,患者の分裂排除された諸部分の統合により,無意識が活性化するのを促進し,「治るのを手助けする」に過ぎないのだということを強調している。

分析家の仕事

分析家の仕事は患者のパーソナリティの分裂排除された諸部分を統合するのを手助けすることであり,解釈が関わるべきは,対象はだれなのか,患者は対象に何をしているのか,なぜそうするのかということを含む無意識の空想である。さらに言えば,患者のパーソナリティの分裂排除された諸部分に関する転移と逆転移双方の空想の意味を同定し,理解すること,そしてこの理解を患者に伝えることである。
したがって,愛や助言,指導や患者の自尊心に対する支持といった何か他の物を患者に与えることは,分析家の分析への抵抗である。
分析家の役割は,患者の修正感情体験を提供したり,超自我の厳しさをやわらげたり,正しい発達の道筋を患者に手引きしたりはしない。患者の成長を手助けはできるが,成長させることはできない。

治癒させたいという分析家の欲求

次に,治癒させたいという分析家の欲求の起源は分析家自身のサディスティックな衝動であると。分析家が自分の愛と破壊性の衝動の葛藤において,愛の衝動の優位性に疑念を持っているとき,患者を治癒させたいという欲求がこの葛藤への防衛として作用してしまい,それは患者のパーソナリティの統合には寄与しない。

分析家にとっての精神分析の情緒的難しさ

1.望まれない自己の諸部分を除去する道具としての分析の限界

患者のパーソナリティの分裂排除された部分が統合されても,患者の困難が解決,根絶されることはなく,患者がそれに対処できるようになるだけのことである。これが,治してもらうことと,分析をやり通すこととの違いを生む。この限界は分析家・患者の双方にとって屈辱的な情緒的難しさを与える。

2.患者の無意識の解釈は,分析家への破壊衝動,罪悪感,迫害的な気持ちや抵抗を生じさせること。この痛々しい感情の生起はむしろ分析作業が進展していることの指標となる。

3.パーソナリティの統合によってもたらされる長期的安堵のためには,一時的に現実的苦痛を生じさせなければならないという事実を受容する必要があること。

精神分析とその他の心理療法の差異

分析的心理療法以外では,患者の心の状態を意図的に変えようとすることがその治療の中心となる。しかし,精神分析において意図的にこれらを目指すことはパーソナリティの統合には障害となる。
分析家は騒動を他所に「中立」でいる人ではなく,いつもその騒動に巻き込まれ,自分がどんな種類の騒動の渦中にいるのかを理解する人である。
そして分析は患者のすべての面をしっかりと受け止めることで,それを再保証する「のではなく」それらを保有することができるようになることを助ける。

無意識の統合を妨げる防衛構造の除去

分析は,健康的な患者のある部分が優勢になるように意図して行われるものではなく,分析の成果は統合の程度によってはかられるべきである。そして,無意識の統合を妨げる防衛構造を除去することによって,患者に無意識を生き生きと経験させるものである。それは,外科医が治すことの妨げとなっている死んだ組織を除去することによって外傷性の傷口をきれいにするようなものである。そのようにして,患者が偏りなく考えて経験することを手助けする。

感 想
①情緒的関わり

最近私の関心がそこにあるから,そう言った文章を殊更にピックアップしているだけのことだろうとは思うが,「治療者の役目はただひたすらにその場で起きていることを解釈することに徹することなのだ」という治療者への警告が本論にも記述されていた。

そしてその流れの中で,分析でいう「情緒的関わり」とはなんだろうかということを考えていたところ,先日,ある先生は「転移・逆転移を考えながら,つまり無意識に対して開かれた状態の中で,患者にとって必要なことを解釈として伝える,ということが対象関係論の中でいうところの「情緒的関わり」ではないか」と教述べておられた。
転移は患者の情緒が投影され,逆転移はその投影された情緒が治療者に取り入れられることで起きるものである。つまり,転移・逆転移の理解というのは,それらに巻き込まれながら体験する情緒を,無意識的に開かれた状態の中で俯瞰で理解することである。さらに,解釈とはそれを言語化して患者に伝える,この一連のやり取りが情緒的関わりと呼ぶものであろう。

だとすれば,治療者が投影を引き受けず,そのまま患者に戻したり,投影を否認したりすれば,そこに先に整理したような情緒的関わりは一時的に生じない。しかし,そこから治療者が立て直しを図り,その転移・逆転移を理解するスタンスに戻ることで再びその関わりは情緒的関わりを取り戻すのであろう。

②治療者の仕事

ここで私の自由連想から本論の感想に戻っておこう。分裂排除されたパーソナリティの統合の結果,患者の健康な部分が優勢になるのであり,それは最初から意図するものではなく,さらには超自我の緩和も意図して行うものではないという点は,ともすると忘れがちな視点である。

③治したいという治療者の欲求

治癒させたいという治療者の欲求は治療者のサディスティックな欲求と繋がっているという部分については,初期のクラインの著作にも,知識本能Epistemopiliaとサディズムに密接な関連があることを記述されている(Klein,1928)。
学ぶことは母親の胎内に侵入することを表象しており(Klein,1931),知りたいという願望は母親の胎内にサディスティックに侵入するという不安に触れることになる(Hinshelwood,1989)。だからこそ,自身のサディスティックな自己の側面の葛藤を治療者が理解していなければ,知りたいというサディスティックな願望が「治したい」「救いたい」という欲求によって覆い隠されることにもなり,それは患者を治癒とは逆の方向に向かわせることになるのだろう。

Caper R.  (1992). Does psychoanalysis heal? A contribution to the theory of psychoanalytic technique. The International Journal of Psychoanalysis, 73 (2):283-92.