解釈についてーー『精神分析の本質と方法』松木邦裕・藤山直樹から

ここでは『精神分析の本質と方法』松木邦裕・藤山直樹において,解釈について語られていた部分で気になるところをまとめています。

「心を理解する」ということ(松木)

外界に存在している事物,つまり外界の現象は概念化するという内的作業によって,それらの事物を自分の中に置くことができるし,自分の中でそれらを操作できるし整理できる。

そもそも人は,人生で経験してきたことを内在化して,心の世界を創っている。(中略)私たちは面接室の諸現象から患者が成し遂げる思考化をそのままそれとして受け取ることこそが,その人のこころを理解するということである。(おそらくここで松木先生が「思考化」というときの思考は原始的思考水準・夢思考水準のものも含み,「思考」を広くとらえたものと考える)

解釈について(松木)

意識的には考えられず,原始的思考の水準で内在化しているままの思考も,言葉を使って概念として配置できるように返す。

解釈は,言葉を選んで並べるという分節化という作業によって為される。語る言葉が選ばれたとき,語られなかった言葉もある。

それは患者も同じであり,「語られなかったものもその人を表している」ことがあるという認識が重要なのである。

・治療者の言葉によってクライエントの無意識を意識化させる技法であり,治療者がクライエントに,クライエントの無意識のこころのありよう,すなわち無意識の空想,感情,思考,欲動,防衛などについての理解を伝えること
・治療者によるクライエントその人についての共感を含んだ理解を伝える作業
・解釈を侵襲的であると恐れる治療者は大抵自己分析が不足しており,自らを知ることの痛みに持ちこたえられていない
(『私説対象関係論的心理療法入門』松木邦裕)

解釈の効果(松木)

解釈とは破局的な感覚を伴う心的変化を導く必要がある。破局的感覚とは,「それが自分だ」と思っていた自分なりの考え方や感じ方などがわからなくなったり,考えがまるでまとまらなくなったり,わけのわかならい感情に襲われる事態,そういう自分が壊れてしまいそうな感覚であり,それがあってこそ心的変化がそれに続いて起きる。(『精神分析の本質と方法』2015)

解釈という言語的介入によって,CLの無意識に抱かれていた感情や思考が「ことば」化された「概念」とつがって,CLの中でそれとして実感される。

解釈によって,THはCLが抱く無意識の空想を一部切り取って見える形で提示している。それを受けてCLは無意識の空想を一部思考として意識化する。

解釈は,言葉を選んで並べる作業,分節化によって行われる。

解釈は絶対的真理を提示しようとしているのではなく,ふたりの関係性の中に見出される,ふたりにとっての事実を浮かび上がらせようとしているため,クライエントの解釈への答えは関係のコンテクスト(転移のコンテクスト)において吟味されるべきである。(『私説対象関係論的心理療法入門』松木邦裕)

松木先生の解釈の効果に対する藤山先生の討論

解釈の後に現れる現象と解釈とをつなげて,解釈を確認する手続き,それが解釈のコンファーメーションという考え方であり,あまりに解釈の効果を直線的に考えてしまうと,解釈の本質的な作用を見逃しはしまいか,という指摘。(藤山)

当然,解釈への反応は言語的なものに限らず,解釈がどのように受け取られているのかを追っていくことは重要である。(松木)

まとめ

ここまでは,松木先生が解釈について語っていた部分を抜粋したが,本書の最後の討論部分では,松木先生は「解釈自体の効果」に,自分は「解釈しか目指さない分析家がそこにいること」に力点があるが,ほとんどやっていることには違いはないと藤山先生が述べておられた。確かに本質の部分について両氏が実践していることは近似するのであろう。

しかしながら,本書,特に最後の討論部分では,精神分析におけるやりとりをどうにか言語化して表現しようとする松木先生と,精神分析で生じている現象については語りえないのだとする藤山先生の考えの違いが強く出でいたように思う。松木先生は,「言語化,とくに解釈の役割ーー言葉から離れないこと」(2002)においても言語化の重要性を説いておられ,事例の理解のためにも書くこと,言語化することを常々強調されているように思う。そして,常に松木先生の書物,とくに言語化しづらいはずの精神病の心の世界について語られるときの松木先生の文章には非常に感銘を受ける。
また,「語りえない!」とおっしゃる藤山先生がその著書で事例について描出されたものを読むと,藤山先生のもの想いが,非常によく言語化されており,十分に「語り得ている」と思う。しかし,これでも語りえていないと言うのだから,私のもの想いとは比較にならないほど恐ろしい広さと深さの考えるスペースで先生がもの想いをしているのだろうと思う。