朝井リョウ『生殖記』からの考察|人は生産的でなければならないのか

朝井リョウ著「生殖記」からの考察です。

成長,成功,前進・・・そういった言葉が街には溢れていて,仕事の評価だけでなく,学びや生活,自己理解にまで,成果や進捗が求められる場面が広がっています。KPI(重要業績評価指標 Key Performance Indicator)やアップデートといった言葉も,今では特別なものではありません。

その一方で,「何も成果を出していない自分には価値がないのではないか」と感じてしまう瞬間を,誰しも一度は経験しているのではないでしょうか。
こうした考え方は効率的でわかりやすく,社会を運営するうえでは有用です。一方で,それが個人の生き方や心のあり方にまで強く影響するようになると,息苦しさを感じる人もいるでしょう。

今回はそんなあなたと一緒に「生産性」について考えてみたいと思います。

「生産的である」とはどういうことか

生産性という言葉は本来,目的がはっきりしている場面で使われる概念です。何を,どれだけ,どのように生み出すのか。そこには測定や比較が前提としてあります。
ただ,そのものさしが個人の存在そのものに向けられるとき,

  • 生産的である=価値がある
  • そうでない=意味がない

という前提が,いつの間にか入り込んでしまうことがあります。
何かを生み出しているか,役に立っているかが自分の価値を測る基準になってしまうと,評価の外にある時間や状態は見えにくくなります。

「成長しなければならない」という感覚

成長すること自体は,多くの場合,前向きな体験です。できることが増えたり,選択肢が広がったりすることは,人生を豊かにします。
けれども,それが「止まってはいけない」「常に前よりよくならなければならない」という感覚として内面化されると,別の負担を生むこともあります。
調子が悪いときや疲れているとき,あるいは何かを失ったあとでさえ,「それでも前に進まなければならない」と自分を追い立ててしまうことがあるからです。

数値にならない変化の価値

目に見える成果や,説明できる変化は評価されやすいものです。

一方で,人の内側で起きている変化の多くは,すぐには言葉にも数字にもなりません。
何も変わっていないように感じる時間にも,実際には整理や調整,回復のような過程が静かに進んでいることがあります。それは外からはわかりにくく,本人にも実感しづらいものですが,だからといって意味がないとは言い切れない時間です。

ひとまずただ生きる」という感覚

長い休みの後の仕事の復帰はかなり身体が重くなるため,お正月,身体がなまってしまわないように,休みの間も身体を動かしておくため,たくさん歩くようにしました。長生きしたいわけではないのですが,健康を保つためには仕方がない,という気持ちもどこかにありました。

でもそうやって,大して歩きたいわけでもない,楽しいわけでもないのに,お正月明けのことを考えて「歩く」ということをしながら,「一体,なにをやっているのだろう」という気にもなりましたし,「自分は何のために生きているのだろう」という考えがふわふわと舞い込んでも来ました。
健康でいること,身体を維持すること,それ自体が悪いわけではありません。ただそこに,自分が人として「機能し続けるため」という前提が,知らないうちに入り込んでいるような感覚がありました。

人は何かを生み出していなければならない,
何かのために生きなければならない,
誰かの役に立たなければならない,そのためには健康を維持しなければならない
―—これらの感覚は,そこまで珍しくも極端なものではなく,生産性や成長があたりまえになった社会の中では,多くの人がうっすらと共有しているもののように思えます。

でも,本当は何かのために,何か意味を持って生きなければならないなんてことはなくて,ひとまず,人は「ただ生きている」それだけで良いのではないかと思うのです。

ものさしを一つにしないという考え方

生産性や成長というものさしは,必要な場面では確かに役に立ちます。ただ,それだけで自分を測り続ける必要があるのかどうかは,少し立ち止まって考えてみてもよいかもしれません。


今日は前に進んでいないように見えても,無駄だったとは言い切れない一日もあります。
何かを成し遂げていなくても,役に立っている実感がなくても,その時間は尊いものなのです。

おわりに

生産性や成長を否定する必要はありません。

ただ,それが人の価値を決める唯一の基準になってしまうと,苦しくなる人が出てきます。
ときどき,生産性という視点を少し脇に置き,別の見方を許してみる。

その余地を残すことが,心を少し楽にすることもあります。

生産性や成長を否定する必要はありません。

ただ,それが人の価値を決める唯一の基準になってしまうと,苦しくなる人が出てきます。

ときどき,生産性という視点を少し脇に置き,別の見方を許してみる。その余地を残すことが,心を少し楽にすることもあります。

次回は,心理療法という場面でこの問いを考えてみます。
→「心理療法における生産性」

オススメ本:朝井リョウ氏の『生殖記

本書は,「生産的であること」や「社会的に機能すること」から逃れられない感覚を描いた作品だと感じました。

ネタバレを避けて少し紹介すると,登場人物たちは生産性や役割,社会の持続といった論理の中に置かれながら生きています。本書の語り手は,それらに巻き込まれつつも,どこか距離を保った視点から出来事を見つめ,物語は進んでいきます。

お正月に散歩をしていた私の心性との親和性が高い気がして,興味深い物語でした。「人は何のために存在しているのか」「役に立たなければ意味がないのか」といった存在意義や生産性の問いに関心のある方にとって,印象に残る一冊になると思います。

(以下,AMAZONからの引用です)

「自分の中にあるルールを全て撤廃して書きました」朝井リョウ

『正欲』から3年半ぶりとなる最新長篇。

とある家電メーカー総務部勤務の尚成は、同僚と二個体で新宿の量販店に来ています。
体組成計を買うため――ではなく、寿命を効率よく消費するために。
この本は、そんなヒトのオス個体に宿る◯◯目線の、おそらく誰も読んだことのない文字列の集積です。