ストーカーの心理とは何か——精神分析の視点から考える
今回は,ストーカー行為の背後にある心理を,精神分析の視点から考えてみたいと思います。なぜ別れを告げられても追い続けるのか,なぜ「道連れ」にしようとするのか——その根底にある恐怖について書いてみます。
ストーカーにとっての相手
精神分析家のメラニー・クラインは,人が他者をどのように体験するかを「部分対象から全体対象へ」という言葉で表現しました。赤ん坊は,母親のことを最初,「おっぱいをくれる良いお母さん」と「おっぱいをくれない悪いお母さん」という「部分」にばらばらに分裂させて体験しています。
ですが,赤ん坊は成長とともに,その両方が「同じひとりの人間」であるということを分かるようになります——これが部分に分かれていた母親をひとりの「全体対象」を認識できる状態です。
精神分析には,「人の心はこうした大切な他者との関係の中で作られていく」という考え方があります。私たちは幼い頃から,親や周囲の人との関わりを通じて,「相手は自分とは別の時間と考えで生きている,独立したひとりの人間だ」ということを少しずつ学んでいくのです。
ストーカー行為をしてしまう人の多くは,このプロセスが心で十分に進んでいないと考えられます。
相手は独立した他者ではなく,自分の心の安定を保つための「自分の一部」として機能していると考えられます。
言い方を変えれば,相手は「自己愛対象」——自分の自己愛を満たし,自分の存在を支えるための対象,として体験されている可能性があるのです。
したがって,別れを告げられても,「相手がそう望んでいる」という事実が心に届きません。相手は自分の一部であり,自他の区別がついていないとも言えるので,相手の意志は,そもそも存在しないものとして扱われてしまうのです。
別れは「世界の崩壊」
自己愛対象として体験されている相手が離れていくとき,それは単なる別れではありません。
それは,自分の一部が失われる——つまり「世界そのものが壊れる」体験として感じられるのではないかと思います。
通常,私たちは別れを経験しても,相手との思い出や温かさを心の中に抱えながら,時間の経過の中で悲しみを少しずつ消化していくことができます。
これはフロイトが「哀悼の作業(mourning work)」と呼んだものです。しかし,心が育っていない人には,この作業ができません。
「復縁したい」という言葉の背後にあるのは,愛情というより,自分の一部を失い,世界が崩壊する恐怖なのです。
愛情を向けるか,
憎しみを向けるかの二択
心の構造がこうした部分対象のレベルに留まっている人が,別れという強いストレスにさらされたときに起きやすいのが,スプリッティング(分裂)という心の働きです。
相手を「良い面も悪い面も持つひとりの人間」として保てなくなり,「自分を愛してくれる完全に良い存在」か「自分のことを拒絶する完全に悪い存在」かの二択に極端に分かれてしまいます。
こうした心のなかでは,拒絶を契機として,「自分が愛し,愛してくれる存在」が一気に「自分を迫害する,憎むべき存在」へと転換してしまうのです。
傷つきが怒りへ
さらに,自己愛(ナルシシズム)の問題も見逃せません。
自己愛が外部の対象に強く依存している人にとって,相手からの承認は自己価値の基盤そのものです。この状態で相手から拒絶されると,自分のなかで自己無価値感,自分や世界の崩壊不安が一気に押し寄せます。
しかしこれらの感情はあまりにも耐えがたいため,そのままでは心の中に留めておけません。
結果として,怒りや攻撃性へと変換されます。「自分はこんなにも傷ついている」という感覚は意識に上らず,裏切った相手が悪い」という怒りだけが前景に出てきます。
攻撃は,耐えられない内的苦痛から自分を守るための,ひとつの防衛でもあるのです。
※自己愛が傷ついたときの怒り,「自己愛憤怒」についてはこちらで詳しく説明しています。
なぜ暴力に向かうのか
通常,人は「感情→思考→行動」という経路を通ります。
怒りや恐怖を感じても,いったん考え,言葉にし,それから行動します。
しかし,こうした人たちの場合,感情があまりにも強く,思考機能がその重さに耐えられなくなります。
結果として,行動が思考の代わりになります。これを精神分析では「行動化」と呼びます。耐えられない内的状態を,言葉ではなく行為によって「処理」しようとする——その極端な表れが,暴力となってしまうのです。
手に入らないなら壊してしまいたい
他害と自死が連続するこの構造は,「拡大自殺」の力動として理解できるかもしれません。
「別々に存在することが耐えられない,ならば一緒に終わる」——これは分離不安の,最も極端な解決として考えられます。
クラインの「羨望(envy)」という概念も,ここで重要になります。
羨望とは,単なる「うらやましい」という感情ではありません。相手が持っている良いものを自分も欲しいと思うだけなら,それは嫉妬です。
クラインの言う羨望とは,相手の持つ良いものを「壊したい」「汚したい」という衝動——自分が手に入れられないなら,相手にも持たせたくないという,破壊的な感情です。
相手が自分なしで幸せに生きていく可能性——その「良さ」を,存在ごと消してしまいたい。これはクライン的な意味での羨望の,最も極端な行動化といえるでしょう。
なぜカウンセリングが届かないのか
ストーカー行為の背後にあるのは,相手を独立した人間として認識できない心の構造,感情を思考に変換できない脆さ,そして拒絶を自己崩壊として体験する深い恐怖です。
こうした人たちに対して,カウンセリングや心理的支援を提供しようという取り組みがあります。
しかし現実には,これが難しいことが多いです。支援を受けること自体が,この心の構造と相性が悪いからです。自分の内側を言葉にして他者に見せること自体がすでに耐えがたく,自分の弱さを直視することはただでさえ脆いナルシシズムをさらに傷つけます。
他者を信頼することへの根本的な困難も重なります。「助けを求める」という行為が,自分の崩壊をむしろ加速させるものとして体験されてしまう——だから支援が届きにくい,という構造があるのではないかと思います。

桜心理カウンセリング恵比寿では,ストーカー行為まではいかないけれど,相手に依存してしまいがち,自分の愛情は重くなりがち――こうした執着の苦しさを抱えていて,それを何とかしたいと思う方のご相談をお受けしています。

