本屋大賞受賞作に見る「喪失やはく奪,そして再生」──心理学から考える「安全基地」と「見守るまなざし」
「喪失やはく奪*,そして再生」,そして「見守るまなざし」。近年の本屋大賞受賞作👑に流れる共通のテーマです。ひとつの心が生きていくためには、もうひとつの心の存在が必要──そんな感覚は,文学にも心理学にも,静かに通じ合っています。今回は「安全基地」や「見守られること」の力と,人間関係が教えてくれる「私は捨てたものじゃない」「世界は生きるに値する」という感覚について探ります
喪失と再生──見守るまなざし
最近,Audibleで聞いたり,Kindleで読んだりした本屋大賞受賞作や話題の小説たち。それぞれまったく違う物語なのに,なぜか,どれも似たようなやさしい余韻が残る──そんな共通点に気づきました。
『カフネ』『水車小屋のネネ』『汝,星のごとく』『52ヘルツのクジラたち』など……どれも,喪失やはく奪*を経験した人が,静かに,しかし力強く再生へと向かっていく物語です。若い頃にたくさん読んだ,吉本ばななさんの作品にも喪失と再生のテーマは多く見られました。
ぜひ,読んでいただきたいので,物語の中身には敢えて触れないのですが,これらの物語に共通しているのは,「そっと見守るまなざし」「存在を肯定してくれる他者」によって,主人公たちが喪失やはく奪から回復し,力強く生きていく姿です。
こうした物語が多くの人,そして私の心を掴むのは,私たちが「そっと見守られること」を願い,「自分の価値を見失いそうな瞬間」を生きていて,物語の静かに生きていく主人公や,彼らを見守り,支える登場人物たちから勇気を貰えるからかもしれません。
*(母性)はく奪 愛着(養育者との愛情の絆)の形成に必要な養育者からの養育行動が,何らかの理由で奪われた状態のことを言います。
なぜ,いま「見守るまなざし」に惹かれるのか?
私たちは「一緒にいて楽しい」人,「面白い」人との関係に惹かれるものです。それは自然なこと。でも,人生には,楽しいだけでは乗り越えられない瞬間もやってきます。
心が揺らいだとき,自分の存在や価値を疑ってしまうとき,「ただそこにいてくれる」「変わらず見ていてくれる」存在が,再び立ち上がる力になるのです。
心の「安全基地」とは?──愛着理論から見る再生の条件
心理学者ジョン・ボウルビーは,「愛着理論」の中でこう述べています。
安全基地とは,子どもが探索を行い,時に安心を得るために戻ることができる存在である。
──John Bowlby, A Secure Base, 1988
この「安全基地」は,乳児期の親子関係だけでなく,大人になった私たちにも必要です。
人生のなかで何かを失ったとき,自分の価値を見失いそうなとき,「この人がいるから,自分は戻ってこられる」と思える関係性が,私たちのこころを支えてくれます。
先に挙げた小説には,必ず「他者の温かなまなざし」の存在があり,主人公の心の再生を促しています。こうした他者の温かなまなざしは,まさに愛着理論における「安全基地」として機能し,大切なものを失い,立ち上がれなくなった人をもう一度世界とつなぎ直すのです。
他者のまなざしが自己肯定感を映し出す──ミラーリングと心の鏡
もうひとつ重要なのが,D.W.ウィニコットが提唱した「ミラーリング」という概念です。彼はこう言いました。
母親のまなざしは,赤ん坊にとって「自分」を映し出す鏡である。
──D.W. Winnicott, Playing and Reality, 1971
人は,他者のまなざしの中に自分自身を見出します。母親の目に映る自分を見て,「私はここにいてもいい」「私は存在していい」と感じるのです。この感覚は,心理学で言う「反射的自己感」にも通じます。
他者との関係の中で,自分という存在を再確認し,安心するのです。つまり,他者のまなざしの中に,私たち自身が映し出されるということは,他者のまなざしがあなたを映す鏡となる──それが,人と人との深い結びつきの本質なのです。
鏡が割れていることもある🪞
人は,相手のまなざしを自分の鏡として使うという話をしましたが,ここでひとつ大切なことがあります。
それは,そのまなざしが,いつも「正しいあなたの自己像」を映してくれるとは限らない,ということです。
たとえば,あなたを傷つけたり,粗末に扱ったりする人がいたとします。
そんなとき,「自分には価値がないのかもしれない」と思ってしまうこともあるかもしれません。
でも,ちょっと待ってください⚠️。その人のまなざしが,もし「割れた鏡」だったとしたら?
割れた鏡には,どんな人もきれいには映りません。そういう人たちは,誰に対してもポジティブな評価をすることができないのです。
だから,そのまなざしに映った自分がダメに見えても,それは本来のあなたの姿ではありません。
どうか,その目に映る自分を「これが自分なんだ」と決めつけすぎないでください。
あなたには価値がある
そして,「自分には価値がない」「自分は生まれてこなければよかったのだ」と思っている人がいるとしたら,もう一つ伝えたいことがあります。そんな風に考えてしまうようなとき,あなたの周りに,素敵な人たちはいませんか?あなたを大切にしてくれる人,話を一生懸命,誠実に聞いてくれそうな人はいませんか?
もしそういう人たちが,あなたの話を大切に聞いてくれるとしたら,あなた自身もきっと「捨てたものじゃない」,「素敵な人」なのです。つまり,あなたには価値があるのです。
あなたは捨てたものじゃない,そして世界は生きるに値する
そして,これらの小説が教えてくれるのは,人生のなかで何かを失っても,人との関係のなかで「大丈夫」と思える瞬間があるということ。そして,見守るまなざしや,何気ない関わりが,再生のきっかけになるということです。
「あなたは捨てたものではない」「世界は生きるに値する」──あなた自身のことも,世界のことも諦めないで。あなたを信じてくれている誰かのまなざしを想像してみてください。
そして,もしあなたが今,少しだけしんどい気持ちでいるなら──この文章が,静かに寄り添う「まなざし」のひとつになれたら嬉しいです。
身近に「見守るまなざし」をどうしても見つけられないとき,桜心理カウンセリング恵比寿はそのまなざしの役目を果たしたいと思います。
「喪失と再生」を描いたおすすめの小説
『そしてバトンは渡された』瀬尾まいこ
『リカバリー・カバヒコ』青山美智子
『流浪の月』凪良ゆう
『汝,星のごとく』凪良ゆう
『黄色い家』川上未映子
『52ヘルツのクジラたち』町田そのこ
『水車小屋のネネ』津村記久子
『カフネ』阿部暁子
『死んだ山田と教室』金子玲介
『存在のすべてを』塩田武士
吉本ばななさんの作品
『キッチン』
『アムリタ』
『TUGUMI』
『デッドエンドの思い出』
『ハチ公の最後の恋人』など