朝井リョウ『正欲』を読んで③ーー心を理解するということ

①多様性というおめでたさ②繋がろうとすること に続いて,朝井リョウ『正欲』を読んで考えておきたいことの備忘録のようなもの

臨床心理学とは人の心を理解するための学問

本書は多くの人にとって様々な衝撃を走らせる「問題作」とされているが,とりわけ心理臨床を仕事とする私にとっては強い衝撃を与える作品であった。

というのも,この前の記事「②ーー繋がろうとすること」で触れた,脆里大也の神戸八重子に対する「お前なんかにわかってほしくないんだ」という非難は,心理臨床の仕事に対する厳しい刃でもあったからだ。

臨床心理学という領域は「人の心を理解する」ための学問である。心理臨床を生業とする私は,クライエントの「心の理解」に努めることを掲げているのであるから,「おまえになんて分かるものか」といった魂からの叫びとも言える糾弾はなかなかに厳しいものである。当然,クライエントの中に似たような気持が湧いていることも頻繁にあると思うからだ。

輪郭を生み出すことのメリット・デメリット

常々,簡単に分かった気にならないことについては心に留めており,分からないことに耐えるNegative Capabilityについても心掛けている。学問の基礎は分類と統合でもある。つまり,心の理解に努めているからこそ,クライエントの心の在り方を心理学的な見地から,特に精神分析の理論の枠に分類することもある。しかし,それは,あまりに早急に,拙速に彼らをはめ込んでしまう危険性を常に孕んでもいる。
安易に枠組みの中で理解しようとする態度は,自分の分からなさに耐えられないからこそ,つまり理解できない未知のものに脅かされることへの防衛として,クライエントのパーソナリティや,在りように輪郭を与えて安堵しようとするものでもあろう。

クライエントには「あまり診断名にこだわらないように…」と伝えることがある。「たとえ,どんな診断名がつこうと,つかまいと,あなたの状態や現状に何か変化が生じるわけではない。今感じている状態がいまのあなたであって,そこに診断名がつくことでそれに変化はない」と。

しかし一方で,診断名がつくことで,自分の状態の理解が進み,自分の心のありかたを理解しやすくなることもあるのも事実であり,自分の状態に何らかの輪郭がつくことのメリットも大きい。

輪郭は役に立つものであるが,理解するための輪郭が,ありのままを理解しないためのものになってしまうことは避けなければならない。

社会適応とは?

奇しくも,この本の解説を臨床心理士の東畑開人氏が書いていることも興味深いが,彼も自分の不用意に発した一言がクライエントを傷つけたことがあると書いておられた。セラピストであれば誰もが経験することだが,私たちが口にする言葉は,助けにもなれば暴力となってしまうこともある。私が日々やっていることは,クライエントの生きる道を社会に馴染みやすいように矯正することで,マジョリティだと思い込んでいる自分の世界を維持しようとすることにしかなっていない場合もあるのだろう。

佳道も「まとも。普通。一般的。常識的。自分はそちら側にいると思っている人はどうして,対岸にいると判断した人の生きる道を狭めようとするのだろうか」と言うとおりである。対岸にいては脅威であるがゆえに,彼らをこちらの岸に馴染ませているだけなのかもしれない。

確かに,生きやすくする=社会適応 でもなかろう。しかし,社会にある程度適応していなければ生きづらい,息苦しいのも事実。さて…。

そして,改めて心を理解することについて

クライエントの生き方に共に輪郭を生み出して,彼らの生きづらさが少しでも軽減されれば,そうすることで,彼らが「明日を生きる」ことを前提にできるようにならないだろうか,という思いは嘘ではない。
しかし,心理臨床という営みをしている私は,一般の人よりも孤独や人と共有しづらい苦痛を抱えている人たちと会う機会が圧倒的に多い。「明日できれば目が覚めなければいいのに,死んでいたい,生きていたくない」とすら思っている人たちである。
彼らの孤独感は言いようのない孤独感であり,おそらく,私は当事者の苦痛を理解するには及ぶことはないのかもしれない。ひとまずはせめて,本当に人の苦痛を理解するなんてことはできない…少なくともそういう謙虚さを持っていることを忘れないでいたいと思う。そしてまた,答えは出ない。考え続けるための覚書で終わってしまう。それでもすぐに棚に上げてしまわないために,平積みにしておくためにここに残しておく。

つづく ④ーー学校に行かない自由