AI相談の『優しさ』の落とし穴(前編)
最近,AIチャットや生成AIを使って,日常的な悩みや心の引っかかりを相談する人が増えています。
時間や場所を選ばず,否定されにくく,気軽に話せる。
そういった手軽さと安心感が,多くの人に支持されているようです。
今回は,このAI相談について精神分析的心理療法の視点から少し考えてみたいと思います。
「寄り添い型」であることの功罪
AIによる助言が共感的・支持的になりやすいことは,様々な場面で語られるようになりました。
安心感が得られる一方で,考えが深まりにくい。
自己肯定が強化される一方で,別の見方に触れる機会が減る。
――そういった指摘は,もう珍しいものではありません。
ここで改めて考えてみたいのは,その先のことです。
つまり,AIの「寄り添い型」の対極にあるもの,精神分析的心理療法が大切にしている「もう一つの要素」とは何か,ということです。
AIの「優しさ」に救われる人たち
AIに相談して癒された。
最近では,AIの優しい言葉に涙が出た,救われた,という声も聞くようになりました。
否定されず,受け止めてもらえる。
「それでいいんだよ」と言われて,ほっとする。
「あなたは悪くない」と言われて,少し楽になる。
――その心地よさ,その安心感は,嘘ではありません。
人は誰でも,受け入れられることを求めています。
その欲求が満たされることは,確かに支えになります。
けれども,その「気持ちよさ」だけで終わってしまうことは,実は危険でもあります。
自分に都合のいい解釈ばかりが強化されたり,
見たくないものから目を逸らし続けることができてしまったり
――そうして,何かが足りないまま,同じところに戻ってくることがあります。
なぜなら,人の心が本当に動くためには,ただ受け入れられるだけでなく,少し立ち止まって考え続けることも必要だからです。
「真実」を目指すということ
精神分析的心理療法は,単に人を癒したり,気分を良くしたりすることだけを目指しているわけではありません。
もちろん,共感し,受容することは土台になります。
けれども,それだけがゴールではないのです。
精神分析的心理療法が目指しているのは,その人にとっての「真実」に近づくことです。
たとえば,
- 本当は何が起きていたのか
- 本当は何を感じていたのか
- 自分に都合よく解釈していることはないか
- 見たくないものから目を逸らしていないか
――そういった問いを,一緒に探っていく作業です。
真実に近づくことは,必ずしも心地よいものではありません。
むしろ,少し痛みを伴うこともあります。
自分の見方が揺らいだり,これまで信じていたことが崩れたりすることもあります。
けれども,その先にあるのは,自分自身の物語をもう少し正確に捉え直すこと。
そして,そこから本当に自由になっていくことです。
精神分析的心理療法における「厳しさ」の意味
精神分析的心理療法では,ただ優しく受け止めるだけではありません。
共感し,受容しながらも,そこには必ず「厳しさ」が含まれています。
この厳しさとは,冷たさや批判ではありません。
むしろ,その人がもう少し深く考えられるように,その人の中にある力を信じて,安易な答えを差し出さないということです。
「本当にそうだろうか?」と問い返すこと。
少し違和感のある見方を提示すること。
答えをすぐに与えず,一緒に考え続けること。
「大変だったね」で終わらせず,「それで,あなたはどうしたいの?」と問うこと。
――こうした関わりは,一見すると不親切に見えるかもしれません。
けれども,この「すぐに答えを与えない」という姿勢の中に,その人が自分で考え,自分で真実に近づいていく余地が生まれます。
おわりに
AIの優しさは,確かに心を軽くしてくれます。
けれども,その優しさだけに頼ると,考えることを止めてしまう危険もあります。
精神分析的心理療法が大切にしているのは,優しさだけではありません。
受け止めること,
そして,安易な答えを出さないこと。
――その両方が,私たちを真実へと導いていきます。

次回は,精神分析的心理療法とAI相談の違いについて取り上げ,AI相談を使うときに意識しておきたいことについて,考えてみたいと思います。

