Reading Kleinを読んでーー第2章「クラインの初期の仕事」覚書

Reading Kleinを読んだ。本書は原著も文献講読会を通して一通り読んでいるはずなのだが,やはり日本語で読む方が頭に入る。本書は,クライン理論,そしてのちの分析家たちの著名な理論にそれらがどのようにつながっていったかということが明快に書かれており,クライン派の教科書的なものである。

クラインの理論といえば,妄想分裂ポジションと抑うつポジションの定式化が有名であるが,正直そこにいたるまでの論文での強調点が,クラインの著作集からは読み取りづらかった。特に,初期の論文は無意識的空想や象徴化の重要性など大事な概念が出てくるのだが,まだ洗練されていないために,こちらもぼんやりとしか掴めない。しかし,本書を読めば,クラインが子どもの中にある無意識的空想に関心を持ち,たぐいまれなる観察眼によって乳児の心の世界を見出していった過程が読み取れる。以下は,本書のまず第2章の覚書,気に入ったところを書き留めておく。(第1章はクラインの略歴と,本書の紹介となっている)

本書の第2章はクラインの初期の仕事として,「子どもの心的発達」「子どものリビドー発達における学校の役割」「早期分析」「チックの心因論に関する寄与」「早期分析の心理学的原則」「児童分析に関するシンポジウム」を取り上げている。

「子どもの心的発達」(1921)

ここでは,子どもの性欲の抑圧が病気の原因や病的要素,制止の原因となっていること,そして,抑圧や過剰な悩みによる負担を防ぐことが,健康や心の平衡,望ましい性格発達,そして知的能力の発達に繋がること(著作集1,3頁)を示す。
症例:フリッツ,

「子どものリビドー発達における学校の役割」(1923)

ここでは,多くの活動の意味(話すことや謡ことは性交の空想,算数の数字には象徴的意味があること,割り算は母親を切り刻む空想を惹起することで不安をひきおこすこと,文法をまなぶことは何かをばらばらにする不安を掻き立てる要求に感じられること,歴史は個人や家族の歴史に疑問を抱かせること,地理は初めて出会う世界,母親の体への乳幼児的思考を呼び覚ます)を記している。
症例:フリッツ,リサ

「早期分析」(1923)

ここでは,フリッツとのプレイアナリシスから「母親の身体の地理」に向ける深い関心について論じ,遊びの中で空想を自由に表現することの重要性を説く。そして,探索する自由vs制止という問題が,学習への関心や減退に繋がっていることを示した。
症例:フリッツ,フェリックス,H夫人,(フロイトのレオナルド・ダ・ヴィンチの分析についても言及)

「チックの心因論に関する寄与」(1925)

現代であればADHDと診断されるであろうフェリックスとの分析から,彼が示す性への没頭と激しいマスターベーション衝動が,全般的不安状態と防衛に関連することを示している。フェリックスのフェリックスのチックの治療にはマスターベーション空想の分析が重要だったと。そして,フェリックス,ウェルナーとの類似性に注目して,運動による発散が心理的に意味することについて多くの考察を行い,二人の非象徴的模倣活動の対比についても触れる。
症例:フェリックス,ウェルナー

「早期分析の心理学的原則」(1926)

この論文では,子どもの心の理解に精神分析的技法をどのように適用するかが記述される。子どものはく奪感を強調し,授乳の経験と離乳のプロセスの重要性を取り上げている。そして「神経症」について取り上げ,夜驚症やおもらし,おもらしへの恐怖,過度な感受性,遊びの制止,家族行事へのアンビヴァレントな態度,行動の困難などを含む不安の重要性を指摘する。そして,厳しい罰への恐れ,罪悪感への脆弱性は早期の残酷な超自我--過酷な内的人物との関係から生じると。
さらに,「一貫した解釈・抵抗の段階的解消・転移をより早期の状況まで絶えずたどっていくことーーこれらすべたが,大人と同じく子どもにおいても,正しい分析状況を構成しているわけである」(著1,159頁)とする。
また,ここではのちの「全体状況」(1952)への着想が「私たちは(中略)さらに諸現象の全体的関連を吟味する必要のあることも心にとどめておかねばならない」(著1,158頁)と表れている。
症例:トルード,リタ,ルース,エルナ

「児童分析に関するシンポジウム」(1927)

本論は,アンナ・フロイトの技法との違いを全面的に打ち出したものである。より具体的に書かれていて興味深い。たとえば,陽性転移,陰性転移の両方を解釈すること,分析の目的は不安と罪悪感を解消することである,それらは患者を苦しませずに進められるものではないことなどに触れている。
ここでクラインは,「無意識と現実の隔たりを埋めること」「言葉で表現されることに最終的に成功しない限り,治療が終結したとは見なさない」(著1,179頁)と,治療における言語化の重要性に触れている。
両親や兄弟との関係を分析することの正しさ(著1,197頁)にも触れる。

「羨望と感謝」への布石

そして,本章の最後でラスティンは,「クラインの『愛する能力は分析によって解放される』という発想は『羨望と感謝』(1957)を予期するものである。そこでは,乳児の生得的な愛情と憎しみの両方が考慮され,理解されることの深い快から生まれる愛情や,考え・感じ・理解する対象の寛容さを備えた応答によって呼び起こされる感謝と愛情が論じられる」(本書48頁),と,初期の発想がいかに「羨望と感謝」に展開していったかを示している。

感想

よく言われるクラインが子どもの観察から様々な着想を得ていったということは,むしろ抑うつポジションの定式化前の論文の方がよく分かる。初期の論文は全体像が掴みづらく,これまで読みづらいと感じていたが,のちの定式化の要素がひとつひとつのパズルのピースとして埋め込まれているのだと思うと,なかなかに興味深い論文だと感じられるようになった。
それでも,クラインの論文は,かろうじて改行があることに感謝するほどであり,小見出しもない彼女の論文を読むことは気力を要する。さらに,途中で「この辺で一度要約を…」といったものが入ったり,「…に戻るが」など,自由気ままにハンドルを右に左に切りながら進んでいく彼女の文章は本当に厄介である。また,今後進むと,「〇〇については××でも述べたが」と言いながらまた同じような説明がつらつらと並ぶこともあるので,本当に読者泣かせでもある。よい機会なので,どこに何があるのか,ラスティン夫妻に従って,まとめ作業を地道にやってみようかと思う。