反応しない練習①ーー人生を生きるヒント

草薙龍瞬氏の「反応しない練習――あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」」を読んでいる途中。気になるところをメモっておきたい。

人の心とは,人生とは

人には「求める心(渇愛)」があり,それが七つの欲求(生存,睡眠,食,性,怠惰,感楽,承認の欲求)を生み出す。そして私たちはこれらに突き動かされて反応する。

時には欲求を満たす喜びが,時には欲求が叶わない不満が生まれ,これらのサイクルを繰り返しているのが人生であり,求め続け,いつまでも乾いている,心とはそういうものなのだと。 

苦悩を解くカギーー智慧

正しい理解と考え方こそが,人生の苦悩を解く一番強力な「智慧」であり,正しい理解とは,正しいという判断をしないことだとも。

ここで仏教は正しい理解を基本に据えるので,現実と合致しない言葉がけは当てにしないのだと書いてあったのだが,このあたりは,分析の,安易な励ましや保証はしないという態度と似ている。 

執着を手放すこと

執着を手放し,判断せず,今できることを考えるそして,叶わなかった過去の願い,失敗したという判断,相手への期待・要求といった執着を手放すことだと。判断せず,落ち込まず,今できることを考える。悩みを「整理する」…ここまでも,ふむふむ,確かにと納得するところである。 

真実であり,有益であること

私(仏陀)が言葉を語るのは,相手に利益となる場合である。真実であり,相手に利益をもたらす言葉であれば,ときに相手が好まない言葉であっても,語るべき時に語る。それは相手への憐れみ(慈悲)ゆえである,とも。

そして,反応しないことーー相手に委ねる。

そこで出てきたのが,反応しないことが最高の勝利。反応して心を乱されることは無意味,反応して心を失わないことが大事。相手の反応は相手に委ねる,正しさは人それぞれ。相手の言い分は否定せず,説得もしない。「あなたにとってはそれが正しいのですね」とただ理解をする。ふむふむ。それはその通り。相手の怒りに反応すれば同じ土俵に引き込まれてしまう。 

反応すること,しないことと,投影の受け手になるということとの関連はいかに。

さて・・・ここで少し立ち止まった。投影の受け手になるということと,反応すること,しないことの違いはどう表現できるのだろうか。投影に飲み込まれれば反応していることになることは間違いがない。投影を受けながらも,それを客観的に捉える第三の視点を持ちつつ…というあたりが答えになりそうだろうか。とりあえず,まずは問いだけを忘れないように書いておく。