「どうして伝わらないのか」「どうして分かってもらえないのか」

先日,今井むつみ著『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?ーー認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策』を読んだのですが,なかなか面白かったので少し書いてみようと思います。今井先生というのは慶応義塾大学の湘南藤沢キャンパスで認知・言語・発達心理学を研究されている先生で,『言語の本質 ことばはどう生まれ,進化したか』では2024年の新書大賞で大賞受賞をされておられます。本書はその続編,実践編という位置づけのようです。

伝わらないのは伝え方が悪い?

自分自身の生活の中で「どうして伝わらないんだろう」「どうして分かってもらえないんだろう」「どうしてこんなに解釈(理解)がずれてしまうんだろう」と思うようなことがあります。あとから,「〇〇さんがこう言ってたよ」「〇〇なんだってよ」という話を伝え聞いて,あまりの話の違いにびっくりして,「私が話した〇〇さんは別人だったのではないか!?」「私はパラレルワールドで別の〇〇さんと会っていたのではないか!?」とすら思うことがあります。セラピーをしていると,そういう体験は私だけではなく,皆,似たような経験をしているようです。

ところで,セラピーにいらっしゃるクライエントさんの場合,何か相手に話が伝わらないとき,理解してもらえなかったときに「自分の伝え方が悪かったんだ」と自分を責めてしまう方が圧倒的に多いように思います。そもそも,私は人間関係で何か起きたときにどちらかが一方的に悪いということはほぼほぼないと考えているのですが,本書でも,伝える側の伝え方の問題とは言い切れない,むしろそうではないんだ,ということが分かりやすく丁寧に説明されています。

「りんご」と「くま」

たとえば,まず「りんご」を思い浮かべてください。同じ「りんご」と言っても頭の中で赤いリンゴ🍎を思い浮かべている人もいれば,青いリンゴ🍏を思い浮かべている人もいると思います,携帯電話の齧られた跡のついた白いアップルマークを思い浮かべた人だっておられるかもしれません。

もう一つ,「くま」を思い浮かべてください。皆さんの中にどんなクマが想像されたでしょうか。くまのプーさんみたいな熊やLINEキャラクターのような🐻を思い浮かべる人も,北海道の木彫りのようなリアルなクマ,北極にいるような白熊を思い浮かべる人もいたのではないでしょうか。

そうなんです,こうした違いがあるままに話を進めていっても,話がズレてしまうのは当たり前なんです。このたとえは私もよくセラピーで使います。本書でも,まさに「ねこ」と言っても自分の家で飼っている猫を思い浮かべる人もいれば,キティちゃん,またはトムとジェリーに登場するネコを思い浮かべる人もいる,という説明が載っていました。

つまり,相手がアウトプットした内容をそのままインプットするわけではなく,自身の知識や認知のスキーマ(枠組み)を通してしかものを見られないから,伝わらないことがあるのは当然といったようなことが本書には書かれています。

どうして伝わらないのか

伝える側と受け取る側という話でいけば,赤いレンズの眼鏡をかけて,青いものを見れば,紫に見える。つまり,自分が青を相手に提示しても,相手が赤いレンズを通してそれを見れば,紫として伝わってしまうのだともいうこともあります。

本書の前半では知識や認知の枠組みが違えば,解釈は当然変わってくるし,話題への重要度が人によって異なること,過剰一般化,立場の違いによる考え方の違い,感情が記憶に与える影響を含め,人の記憶は容易に書き換えられてしまうものであること,様々な認知バイアス(思い込み)などなど,たくさんの「伝わらない理由」「分かってもらえない理由」が認知心理学的見地から説明されていました。特に様々な認知バイアスはさらりとでも知っておくと役に立つものだと思います。

後半では,伝わらない相手に極力,最大限,伝わるようにすればよいのかといった視点で,相手の立場に立つこと,そのために必要なメタ認知などにも触れられており,どんな伝え方が通じやすいかなどのヒントも少し紹介されています。すぐにでも実践できるものもあります。

 心理学を学ぶ私としてはそこまで目新しいことが書いてあったわけではないのですが,非常にうまく分かりやすく説明されていましたし,一般の方が読むにはより一層,頭が整理されて,役に立つのではないかと思う本でした。

自他の分離

ここで認知心理学的な見地から書かれていることの一部を,精神分析的な理論の立場から説明すると「自他の分離」と言った考え方がそれに近いものかなと思います。

たとえば,人の脳や心はクラウドのように共有することはできません。自分は相手ではないですし,相手は自分でもありません。「自他の分離」というのは,つまり,相手(他者)には相手の考え方があって,相手の時間の流れ方があり,相手の生き方があって,そんなに私に都合の良いように周りが動くわけではないということを認識した状態とでもいえるかと思います。これを踏まえた上で地道にこつこつと丁寧にコミュニケーションを取る。それが大事なようです。

最後に

どうして「かみ合わないのか」「分かってもらえないのか」それらの理由を理解しているだけでも随分と気持ちは楽になるように思います。

言葉で伝えられるものには限界があるのも承知です。とは言え,言葉にしなければより一層,何も伝わりません。まずは少しでも言葉にして相手に伝えてみる,そのときに相手は自分と同じ考え方ではないから,ぴったりと,完全に伝わるわけではないかもしれません。だからこそ,言葉にしてみること,伝えることを諦めない私でいたいとも思います。

そして,できるならば,比較的「伝わる」相手の多いところに身を置いて生きていたいものです。

追記:これを書いた後,都知事選後のメディアVS石丸氏との構図で「石丸構文」というものが取りざたされていました。まさに「寄って立つ立場の違い」「前提の違い」「誘導したがるメディアとそれに乗らないぞ!と踏ん張る石丸氏」の構図が浮き彫りになっており,「分かりあうこと」「伝えること」を意図したコミュニケーションではなく,マスメディアによる自分たちの価値観の押し付け,誘導→石丸氏の拒絶というコミュニケーションでしたね。そのなかでも特に石丸氏と古市氏のやりとりは「かみ合わないコミュニケーション」の教科書のようでした。