正しい生き方ーー反応しない練習④

草薙龍瞬氏の「反応しない練習―あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」」を読んでいるが,かなり終盤に近付いてきている。

正しい生き方

仏教では正しい生き方ことを「ダンマ」と呼ぶらしい。法,真理,真実と表現されることもあるらしいが,心の土台となるべき考え方らしく,心の構えとも言うべきものかと思う。ちなみに「帰依する」というのは「~に基づいて生きる」ということらしい。そして,本書では正しい生き方として

①反応せずに,正しく理解すること
②三毒などの悪い反応を浄化すること(心をきれいに保つこと)
③人々・生命の幸せを願うこと――慈・悲・喜・捨の心で向き合うことであると。

心のよりどころは自分の外ではなく,内側に置くことの大事さを言っている。外の世界に求めれば欲や怒り,妄想で反応するだけ,そして,心の闇,苦悩は最後は自分自身で乗り越えていくしかないのだと。

慈・悲・喜・捨

慈…他者の幸福や利益を願う心
悲…他者の苦しみや悲しみを理解する心
喜…他者の喜びを理解する心
捨…手放す,捨て置く,反応しない心

おそらく精神分析をベースに臨床活動をする前には,この手の内容には大して心を惹かれることはなかった。しかし,そこそこ長く人々の心の理解に携わっていると,仏教で言われている「反応せず,正しく理解すること」の大事さが分かるようになってきた。

「軸」は自分の内側に

そして,人の目の中に移る自分ではなく,自分の中に「ものさし」を置くことの大切さがわかるようになってきた。以前,何かの本で,割れたガラスを拾って指を怪我したとしても,あなたが悪いのではない,割れたガラスが危ないのだというような説明が載っていた。確かに,鏡に映して自分の顔をチェックしているとき,もし鏡が割れていたら正しく自分の顔が映らないい。そんなときに,自分が悪いのではないかと,自責しても埒はあかない。人を陥れるような危ない人が存在するのも事実である。そんな場合にも,「軸」を自分に置くことは大事である。だからと言って,怒りで反応し続けても心は病んでいく。話し合いが成立しなければ距離をとる,というのは前の文章でも取り上げたところである。

反応せずに正しい理解を

このように考えると,やはり,人の喜びや悲しみに思いを馳せ,心穏やかに生きていく,それを考えれば,やはり「反応せず,正しく理解すること」は重要である。精神分析をベースとした心理療法では「正しい理解」を目指す。それは,真実といっても,分析者と被分析者が辿り着く二人の真実の理解である。真実は人の数だけあるのだろう。しかし,そこそこおさまりの良い真実というのはある程度の共感を得られるようなものなのだろうとも思う。