オイディプス王「イオカステの罪」
読書会の準備で読んでいる英国独立派の精神分析家ハロルド・スチュワートの著作「精神分析における心的経験と技法問題」の中に『オイディプス王』の「イオカステの罪と共謀」について扱った章があった。
これまで早期の母子関係の重要性について学び,臨床に臨んでいたのに,エディプスコンプレックスの語源となるこの物語について,これまで母親のイオカステが果たした役割について考えてみたことはなかった。非常に興味深い視点であったために,個人的に気になったところを書き出しておこうと思う。(ちなみに,本書の翻訳は,翻訳であることを忘れるほどの良訳でおススメ)
前エディプス的悪い母親,そして息子の敵意の対象としての母親
本書によれば…
スチュワートはポーラ・ハイマンが,「イオカステは死んだのにオイディプスは死ななかった」とコメントを発したことに端を発し,イオカステの罪に関する論文を書いたとのこと。
マーク・カンザーは,イオカステを息子の目から見て潜在的な前エディプス的「悪い母親」とし,H.ヴァン・デア・ステレンは,息子の敵意の対象としての母親という考え方を発展させた。
オイディプスの母親に対する敵意の動機
H.ヴァン・デア・ステレン(1952)は,母親に対するオイディプスの敵意の動機を次のように指摘した。
・イオカステ,そしてコリントスの王の妻であるメロペは,息子の出自を知りたいとする願望を禁じ,息子のエディプス的欲望の充足を許したこと
・イオカステは,ライオスの依頼を受け,息子を追い払う手助けをしたこと
・母親による誘惑が,良心の呵責や処罰の危険を招いたこと
イオカステの罪
スチュワートは,彼女の罰の方がオイディプスよりも重い理由に関して幾つかの面白い指摘をしている。(オイディプスは近親姦と親殺しの罪に対しーー親殺しについては決定的証拠が突きつけられてはいないーー,自らを盲目にすることとデバイからの追放という罰を受け,イオカステは近親姦に対し自殺,死となっている)
まず,
・同性愛の罰として呪いの宣告を受けたライオスはイオカステと子どもをもうける婚姻権を拒否していたが,イオカステが酔っ払ったライオスを強姦した結果,オイディプスが生まれた。
・ライオスからのオイディプスを山中に置き去り,殺すという命令を遂行したのはイオカステである。
・イオカステは赤ん坊の命を助けるように仄めかし,オイディプスを救うことでイオカステ自身,呪いの実演に手を貸した形となって,共犯関係が成立した。
・途中,ライオスを殺したのはオイディプスであることに気付きつつも,それを隠ぺいするよう家来に誓わせ,性的欲望を満たし続けた。
・イオカステには,自分の性的欲望を満たさなかったライオスへの憎しみがあり,夫の死を望みながらも罰しもしなかったこと,十分に状況を理解しながら息子を誘惑した。
・子どもを誘惑することで父親の権威を破壊した。
オイディプスにおける共犯の兆候
オイディプスがイオカステと結婚してからも,自分の出自について本当に知らなかったのか,そこには否認,否定の状態に似た,無意識的共犯行為が継続していたのではないか。
自らの利益の為,母親の秘密に加担していたのだろう。彼にとって,父親は破壊願望,母親は近親姦願望の貯蔵庫であり,それを母親と共に実演させていた。
ちなみに,オイディプスの盲目は,母親の性的欲望の強さ,特に自分への欲深さに気付いたことへの罰だったのだろう。
イオカステの母子関係
もし,イオカステの母親が迫害的だったとすれば,イオカステの超自我が投影された内的に迫害する残虐な母親が存在した。だとすれば,彼女には,悪い母親になることで母親を宥めるニードがあったろうし,子どもをこのために利用にした。さらには,オイディプス自身も,彼が悪い息子になることで,迫害的母親を宥めたのかもしれない。母親と息子それぞれが,迫害的母親に対処するために,相互補完的な方法を用いた。
近親姦と親殺し
近親姦を実行させるためには,親殺しが必然であり,近親姦が証明されれば,その背景には親殺しが暗示される。
感 想
最初に書いた通り,今までイオカステについて深く考えたことはなかった。オイディプス王の物語は「悲劇」とされ,一般に,イオカステ本人にとっても一連の出来事は「悲劇」とされている。しかし,スチュワートが論じたような視点で物語を読んでみると,この「悲劇」は人災のようなものであり,そこにイオカステの欲望が多大に関与していることに衝撃を受けた。しかしながら,そもそも悲劇なるものは自然災害を除けば,古今東西人間の性(さが),衝動がその源泉であろう。
オイディプスが満たしていたイオカステの性的満足,それを遡れば,ライオスを襲い,オイディプスを身ごもるに至った際のイオカステの性的満足にまで辿り着く。イオカステの性的欲望がこの物語の悲劇を招いた。
しかし,イオカステが性的欲望を持つこと自体は罪ではなかろう。実際,イオカステの性的満足をライオスがそれを満たしていれば…とも思うわけで,そう思うと,イオカステも不憫な人であり,ここにもこの物語の悲しさがある。
さらに遡ると,同性愛という罪(現在,これはpolitical incorrectであろう)を犯したのはライオスであり,ライオスは息子から殺されるという罰を受けているわけだが,犯人捜しはキリがない。イオカステ側においても,イオカステの迫害的母親という推測が本章にも述べられていた。
人が生きるには欲動が欠かせない。欲動こそが生きた人間の証でもある。一方で,欲動ゆえに欲求不満が生まれることは必須である。となれば,人間がしばしば「悲劇」を演じることになるのも避けられず,やはり『オイディプス』は普遍的壮大な悲劇を描いた物語であることに間違いない。