物語を紡ぐ…周囲のノイズが気になるとき
日々の臨床のなかで,「生きていることの意味」という言葉が出てくることがあります。
生きていることに何らかの意味があるのだろうか,それは正直なところ分かりません。
ただ一つ思うことは,自分が生きてきたこれまでの日々,そして生きていくこれからの未来,この時間の中に物語,ストーリーが紡がれること,それが大事だという思いです。
フロイトによれば,人は生の本能由来の凝集に向かう性質と死の本能由来の解体に向かう性質があります。一つ一つの経験,出来事,人,もの,それらは繋がっていることで,物語が紡がれ,そこに何らかの意味が生成されるのだと思います。それらがバラバラに拡散された状態では無為な日々を送ることになりそうです。
そんな風に考えると,生きることで,生の本能による凝集性の派生として人生の物語,そして意味がが生成されてくる。つまり,それが本能だから,人はそれを遂行する,ただそれだけのことなのではないでしょうか。
生きていると人の動向や思いが気になって,穏やかでいられないこともあります。そんなときは特に,周囲のノイズに惑わされず,本質から目を逸らさず,粛々と一歩いっぽ,自分の足元だけを見て,自分の物語を紡いでいくこと,そこに集中したいですね。