赦しではなく「手放す」こと|映画「国宝」のラストシーンからの考察

お盆休みには少しは休みらしいことをした方が良いと思い,評判の映画『国宝』を鑑賞しました。以下,ネタバレを含みますので未見の方はご注意ください。

映画『国宝』の感想|キャスティングの妙

多くの方がすでにこの映画をご覧になって,それぞれに感想を持っておられると思います。だからこそレビューを書くことに迷いもありましたが,自分が「考える」作業を怠らないために感じたことを残しておきます。

率直に言えば「観てよかった」と思いました。「なんか良いものを観た」という余韻が強く残っています。その「なんか」の解像度をもう少し上げてみると,吉沢亮さんと横浜流星さんの熱演,脇を固める俳優陣の存在感,美しい映像,テンポの良さなどです。特に主演の二人には,渡辺謙さんや役所広司さんのような円熟味を備えた俳優へと成長していく未来を感じました。同時に,自分がその未来を見届けられるほど長生きできないかもしれないと考え,普段あまり長生き願望の強くない私も,少し切ない気持ちにもなりました。

興味深かったのはキャスティングです。寺島しのぶさんや三浦貴大さんといった,血筋を意識せざるを得ない俳優が出演していました。彼らの存在そのものが「血筋か,芸か」というテーマを体現していて,セリフに現実味と重みが加わり,非常に引き込まれました。

映画『国宝』ラストシーン再考|娘は父親を赦したのか

ところで,レビューを読み漁っていると,ラストシーンへの否定的な意見が目につきました。抵抗を感じた人が中心に書き込むので「多数」に見えているだけかもしれませんが,そうした感想が一定数あることは事実です。

問題となっているのは,隠し子として育った娘が取材カメラマンとして登場し,国宝となった父・喜久雄に思いを伝える場面です。否定的な意見の多くは「ここで娘が喜久雄を赦すと,悪魔と取引して全てを諦めた喜久雄という設定と矛盾する」「安易な救済になる」というものでした。

しかし,娘のセリフを思い返すと印象は違います。はっきりした台詞は覚えていないのですが,彼女は「父親としては最低だと思っていたけれど,舞台上のあなたを観ると,自然と拍手をしている自分がいる」というようなことを言っていました。私は,これは父親としての喜久雄を赦したのではなく,歌舞伎役者=半二郎としての才能を認めただけではないかと思うのです。つまり,娘は父親と役者を切り離し,それぞれを分けて評価していたと理解しました。

とは言え,穏やかな温かいエンディングを望む人たちに,「娘からも赦されてよかった」と思える余地を残す描き方をしたところも興味深い脚本・演出だとも思いました。

赦すことと手放すこと|心理学的視点からの解釈

カウンセリングの場では「親を赦せない」という相談をよく受けます。その際私は「赦さなければならないと感じているのですか」「赦したいと望んでいるのですか」と尋ねます。すると多くの方は「どうだろう」と自分の気持ちを探り始めます。

親との関係で深い傷を抱えている方は少なくありません。「赦さなければ恨みや苦しみから解放されない」と思う一方で,「赦す」という感情は非常にハードルが高いのです。

精神分析の創始者であるフロイトの「喪の作業」では,失われた対象への執着を手放し,否認や理想化をやめて現実を受け入れる過程が重視されます。『国宝』の娘の場合も,自分に愛情を注がなかった父親への怒りや恨みを抱えて生きてきたはずです。しかし彼女は,「理想の父親」という幻想を手放し,「才能ある歌舞伎役者だが,父親としては不適格な人」という現実を受け入れたのだと解釈できます。

これは「赦し」ではなく「理解による手放し」です。憎しみを手放すことと赦すことは同じではありません。娘は憎しみを手放したけれど,父親としての行為を肯定したわけではないのです。

映画『国宝』の課題?

一方で,映画の構造に関する課題も指摘されています。

  • 女性の描き方が粗い
  • 春恵がなぜ喜久雄のもとを離れたのかが不明
  • 俊坊が地方にいた間の暮らしが描かれない
  • 展開が唐突に感じられる

物語に厚みを求める声は理解できます。しかし,これらを推測できる作りには十分なっていたと思いますし,人の一生を三時間に収めるためには,ある程度の省略は避けられなかったとも思います。

映画『国宝』のまとめ|レビューと感想

映画『国宝』は「血筋か,芸か」という問いを軸に,歌舞伎という特殊な世界を背景に,芸術と人生の葛藤を描いた作品でした。若手俳優が果敢に挑み,円熟した俳優陣や女性キャストが支えた意欲作です。

特にラストシーンは,安易な和解ではなく,赦しと手放しの違いを考えさせる複雑な親子関係の着地点を示していました。心理学的な視点からも,ただ赦すのではなく「理解による手放し」が描かれた秀逸な場面だったと私は思います。

余談

余談ではありますが,最後にどうしても「ポップコーン問題」,「国宝」にポップコーンの甘い匂いは合わないです。コメディやマーベル映画などのアメリカンなものならいざ知らず,「和」の香り漂う歌舞伎をテーマにした映画ですから,白檀の香りくらいしても良さそうです。

また,ある記事でタレントの有吉さんも同じようなことに腹を立てておられるようでしたが,私も同じようなことがありました。私は,有吉さんとはまた別のシーン(田中泯さん演じる万菊が落ちぶれていた喜久雄を呼び寄せる映画のクライマックスシーンの一つではないかと思える場面です),深刻で緊張するシーン,さすがに映画館の中も静まり返ったタイミングで・・・あろうことか,隣の人の手がポップコーンに向かったのです。「うわっ,ここで食べるか!?」と思った矢先に,モグモグぼりぼりと音が響きだしました。ちらっと顔を観て牽制すると,その後は少しマシになりましたが,もう少し音の大きなシーンで食べるとかすればよいのに…と思ってしまいます。


緊張するからこそ,ポップコーンに手が伸びてしまうのも,それこそ心理学的には分からなくはありませんが,我慢してほしかった(笑)。

国宝

桜心理カウンセリング恵比寿では,なかなか怒りや恨みを手放せなくて困っている…という方に精神分析的心理療法を提供しております。恵比寿・広尾から徒歩で,渋谷からはバスでアクセスの良い場所です。興味のある方はお問い合わせください。桜心理カウンセリング恵比寿HP