妄想と夢の違いーー『夢,夢見ること』松木邦裕・藤山直樹から

夢,夢見ること』松木邦裕・藤山直樹の中にあった妄想と夢の違いについての見解を記述した。

変形可能かどうか

妄想の本質は空想,その人の主観的な想像であり,その人がその空想を現実だと思い込んでいる場合に私たちはそれを妄想とする。夢は変形できるが,空想は変形できず,妄想も変形できない。

醒めることができるのか

夢から醒めることはできるが,空想・妄想から醒められない。

客観化できるのか

夢は後から客観的視点でみることが可能。空想は客観化できず,浸ってしまい,信念・事実と捉えられる。

これは夢なんだと,夢体験をウィニコットの言う乖離できる感覚が持てるかどうか,ポテンシャル・スペース的な部分でそれを体験できるかどうか。妄想の場合にはそれができない。

妄想はベータ要素,夢はもっと成熟した水準の思考(松木)

現実との区別がついているか

無意識と意識の障壁があってこそ夢見る体験ができる。サイコティックな心は夢が見られず,夢を見たら,それはいつも妄想で夢と現実,空想と現実の区別がつかない。

夢を見るというのは構築的な能力である。

サイコティックなところから寛解していく過程には夢の回復がある。(藤山)

夢について

松木先生,藤山先生,いずれの説明も,夢を健康なものとして扱っており,夢は思考の対象・素材として扱えることを言っておられるように思う。現代の精神分析では夢そのものではなく,夢を見るその人の心の理解のために夢を取り上げるようになっている。

心理療法の初期に見られる夢は,心理療法への期待や不安が現れやすい。そして,心理療法が進展して対象関係への怒りや憎しみが意識されてくると,親を罵倒している夢などが現れやすい。まずは夢の中で自分を表現できるようになることが第一歩である。その後,その怒りをどうするのか,現実の親が理想の親ではなかったこと,その喪失にどのように対処していくのかを共に考えていくのがその後の心理療法での仕事になる。そして,喪失をどう扱うのか,それがその人の生き方となる。

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