マインドフルネスとBionの思考①

マインドフルネスの考え方についての勉強会に出てみた。

理解が正しくない部分,不足している部分もあるかもしれないが,マインドフルネス認知療法MBCTでは,問題は悲しみやつらさではなく,「反応」なのだと。起こったことを過去の経験に基づいて評価したり,意味づけたり,未来はどうなるか考える(反応する)ので,感情が長続きしてしまう,だからこそ, 反応していることに気づいて,起こっていることをあるがままに受け入れるという考え方がベースにあるようである。(ちなみに,先日,「実は仏陀は超クール」という帯に惹かれて『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」』という本を立ち読みしたが,同じような主旨のことが書いてあるのだろう。「反応していることに気付く」と,「反応しない」には微妙な差があるのかもしれないが)。

苦痛とは、思い通りにならないときに生じる

昨日の勉強会は,MBCTそのものよりも,マインドフルネスがベースとしている仏教の考え方を丁寧に説明していた。
仏陀によれば,「人生の苦痛とは思い通りにならないことであり,苦痛は認識作用によって生じる。認識作用が消滅するならば、もはや苦しみが生起するということは有りえない」(『ブッダのことば――スッタニパーダ』中村元著)のだと。

願望,判断なしに,処理しようとせず,ただ観察

そして,大事なことは「ありのままにものごとを見る= 観察する」ことであって,それは願望抜きに,判断せずに,処理しようとせずに行うことが大事なのだと。これがマインドフルネスに必要なことであり,この状態を獲得するために,MBCTではいろいろなワークがあるようなのだが,それは置いておいて・・・。

Bionの「Oになること」とマインドフルネス

ここで思い出したのは,Bionの理論である。まずは「理解なく,欲望なく,記憶なく」の教えである。これは,マインドフルネスの考え方として私が理解している,「ありのまま」「判断せず」「そのままで受け入れる」「処理しようとしない」に繋がるのではないか。 

そして,彼の研究の後期において提案された,精神分析において,治療者がなすことは対象(ここでは,患者の不安や苦痛,恐れ)を「知ること」ではなく,「対象そのものになること」,つまり,「Oになること」が重要なのだという考えである。それを知ろうとしても,どうこうしようとしてもいけないのである。ただただ,「Oになること」を提唱している。

「O」とは?「Oになる」とは?

Bionは既に私たちが使用して,ある一定の意味が付与された用語で自分の概念を表すことを嫌ったために,「Oになること」と表現し,「O」は言葉で説明可能なものではなく,経験するしかないものだと言っている(このあたり,Bion自身は,穴の開いたドーナツのように周辺を沢山説明してくれるが,中核を説明してくれない感じがもどかしい)。たが,松木邦裕先生はBionの解説書(『精神分析体験ーービオンの宇宙』)によれば,「O」とは,究極的な現実,絶対的真実,もの自体,形のない無限,空虚であり,「Oになる」ということも,あえて私たちに親しみのある用語で置き換えると「直感する」とか「直截する」するということらしい。
また,これは,ウパニシャッド哲学による視点では,涅槃の境地として,ブラフマン(宇宙の根本原理,無二の根本実在など)との一体化を目指すが,そうした視点も活用するものとなるのだと。

水と我が身が溶け合うような感覚

また,松木先生は,「人間,何かに悩んだ時,じっと水を見つめればよい,水とわが身が溶け合った時,人間は悩みから解放される」という日本人について書かれたという文章を引用して,これが「Oになること」であり,日本人にはこのような発想がどこかにあるのだと書いておられる。これは非常に分かりやすく,なにか浄化されるような表現である。これを読むと,やはり「Oになること」は,かなりマインドフルネスチックな話ではないかと思う。

宇宙との一体化

水を見つめる例えで言えば,Oになるというのは,要は,自分の我というものをなくし,強いて言えば,宇宙と一体化する状態とも言える。(ここで,松木先生が「ビオンの宇宙」という副題を付けた意味が初めて少し分かった気がした)

 繰り返しになるが,Bionは,私たちは患者の苦痛を「知る」のではなく,「そのものになる」ことが必要なのだと。ここが,どうこうせず,ただ,観察すれば,その後のことは自然に起きてくるのだっていうマインドフルネスと近いことを言っているのではないか。

さてさて,長くなったので,続きは,また後日。(つづく)